たまブレ、なるボケ

写真、音楽、映画、本、プロ野球。

「こんなの、誰でもできるでしょ」って思うことはありませんか?

 

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 こんにちは、れいやです。
 
 写真を撮るのはすごく簡単だ。シャッターを押す、ただそれだけ。もし複雑な作業が必要だったら、Instagramはこんなに流行らない。文章を書くのもすごく簡単だ。思いついたことを言葉にする、ただそれだけ。もし複雑な作業が必要だったら、Twitterはこんなに流行らない。それでも、世の中には「フォトグラファー」「ライター」という職業があり、彼らの技術にお金を払う人がたくさんいる。なぜか。自分で撮ったり書いたりするよりも、彼らに頼んだ方がうまくいくからだ。
 
 しかし考えてみると、「誰でもできること」しかないのかもしれない。みんな多かれ少なかれ料理はできるけど、「料理人」という仕事がある。でも、僕にとっては「料理人」はものすごく遠い世界の仕事のように見える。なれる気がしない。僕は料理をする時に計量カップの類を一切使わないから、毎回同じものを作ることができない。あー、先週作ったパスタは傑作だったなあ、と思っても再現できない。
 
「こんなの、誰でもできるでしょ」と思うことって、自分に向いてることなんじゃないだろうか。
 
 ギターがすごくうまい後輩に「すごい」と言ったら「先輩もできますよ」と明るく返されて絶句したことがある。その後、暇を持て余した時になんとなくアコギを買ったものの、一向に上達せず、続かなくて諦めた。だから、僕は楽器ができる人に対してはそれだけで尊敬の念が大洪水になる。ストリートミュージシャンとかもう最高に大好きでかっこいいと思う。
 一方で、同じ大学の友達に「どうやったら綺麗に写真撮れるの」と聞かれて、「とにかく撮れば良いんだよ」と言ってポカンとされたことがある。僕にとってのギターが、彼にとっては写真なのだろう。
 
 でも実際は、誰でもできることなんてない。音楽も写真も料理も、それに書くことも、続けるだけでも難しい。「誰でもできるでしょ」という勘違いから、本人にとっては努力と思わない努力が始まり、それが積み重なって、プロと呼ばれる人ができあがるのだ。僕は、「写真撮るのも書くのも誰でもできるでしょ」という勘違いをしている。繰り返すが実際は違う。「#東京カメラ部」とか「森山大道」とかで検索をかけると、格の違いにクラクラする。有名ライターが書いた面白記事を読んで、ゲラゲラ笑っている。それでも、心のどこかで、「だけどそれくらい、誰でもできるよな」と勘違いしている。よくないことかもしれないし、謙虚さは絶対に必要だ。でも、この勘違いがあるから写真を撮り続けられている。かもしれない。
 
「こんなの、誰でもできることでしょ」って思うことは、多分あなたに向いてる。
 そうしてやってみてダメだったら、また違うことを始めればいい。
 
 
 お気づきかもしれませんが、半分くらいは自分に言い聞かせてます。それにしても、こういう文章を書くときは、どうしても常体で書きたくなりますね。敬体の時は、逆にもっと適当に書いてる気がします。どっちも楽しいです。
 
 それでは!