たまにブレてもなるべくボケない写真のブログ

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遠くなったBUMP OF CHICKENに追いつけたような感覚

中学生の頃、生まれて初めてCDを買った。
 
BUMP OF CHICKENの「Jupiter」。
 
お昼の放送だったかテレビだったか、
とにかく何かしらの媒体で聞いた「天体観測」に引き込まれて、
インターネットで検索するということを覚えたばかりの僕は、
『BUMP 天体観測』と検索し、
その曲がアルバム「Jupiter」に収録されていることを知り、
アマゾンで3000円ちょっとで売っていることを知った。
家から歩いていけるようなところにCDショップはなかったから、
クレカを借りて、お小遣いで買った。
母が「えっ、アルバムなの?」と驚いた時の顔が、なぜか忘れられない。
 
 
数日後、部活を終えてクタクタになった夜。
そのCDが届いていた。
気を使ってくれた母が「晩御飯食べながら聞こうか」と言ってくれた。
メニューはミートソースのスパゲッティだった。
「英語のリスニング用に」と買ってくれたCDラジカセに、ディスクをセットした。
(余談だが、英語のCDなんて滅多にかけないうちに落として壊してしまった)
一曲目、知らない曲だった。
「Stage of the ground」というその曲で、藤原基央はこう歌っていた。
 
迷いながら/間違いながら/選んだその姿が正しいんだ
君が立つ地球はほら/360度全て道なんだ 
BUMP OF CHICKEN「Stage of the ground」より)
 
痺れた。
クーリッシュを30個買えるだけの額を出した価値があった、と確信した。
半分死にかけた顔でスパゲッティを食べながら、
母に「どう?」と聞かれて、
「良い」って言った。
あの時はCDのことについて聞かれていると思ったけど、
今思うとパスタの感想を求められていたのかもしれない。
まあどちらにしろ、それは良かった。
すごく良かった。
 
 
それからは簡単だった。
FLAME VEINユグドラシル、Present from you、Orbital Periodをレンタルして、
これまたWindows XPに取り込んで、
当時使っていた小さなMP3プレイヤーに入れた。
ほとんどの曲を、歌詞を暗唱できるまで聴き込んだ。
シングル曲だけでなく、アルバム曲も聴き込んだ。
(今、父がこのプレイヤーを使っている。もう7~8年は経つから、あれを作ったHITACHIは凄い)
 
 
ある秋の日。
東京FMのラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」で新曲が宇宙初公開されると知った。
この頃にはバンプのウェブサイトを定期的に訪問し、
何か新しい情報が無いかと確認していたし、
出たてのシングル「宇宙飛行士の手紙/モーターサイクル」も買ってた。
宿題は適当にこなし、藤原が何を言いたいのかを読み解くのに必死だった。
 
 
夜10時、例のラジカセの前に正座して聴いた。
ウェザーリポート」という曲だった。
最新アルバムに収録されるという。
軽快なメロディ、そして、心に優しく寄り添ってくれるような歌詞だった。
雨の日のバスなんかで、今も聴きたくなる。
バンプの中でも、特別に好きな曲だ。
 
そうして発売されたアルバム「COSMONAUT」。
これまでの例に漏れず、XPで取り込んでプレイヤーに移し、
全曲暗記するまで聴き込んだ。
この歌詞はこんなことを言ってるんじゃないか?
これって完全に俺のことじゃん?
色々考えていた。
いわゆる「捨て曲」がなかったし、全部の曲に心を動かされた。
この時のBUMP OF CHICKENは、紛れもなく世界最高のバンドだった。
 
 
中学を卒業する少し前、友達に「アジカンはいい」と熱心に勧められた。
SCOOL OF LOCK!のページで、「アジカンLOCKS!」の文字を目にしたことはあった。
だから、そのバンド名は知っていた。
逆に言うとバンド名しか知らなかった。
なんとなく、チャイナドレスを着たお姉さんがバンドやってるのかな?と思っていた。
「アジア」と「カンフー」に対するイメージが貧困だった。
正直、あまり興味を持っていなかった。
それを察してか察さずか、とにかくこのCDを聴け!と友達が渡してくれた。
曲名も知らなかったけど、なんとなくいいなと思って聴き続けた。
あれ良かったよ、と友達に言うと、ドヤ顔で
「これがアジカン」と言われた。
お姉さんたちのバンドだと思っていた俺は死ぬほど驚いた。
そして、アジカンにズブズブと傾倒していった。
バンプよりも抽象的で、詩的で、暗い曲が多かった。
鬱屈していた自分にはちょうど良かった。
中学3年生の終わりから今まで、消してリライトしまくっている。
アジカンにズブズブになる一方で、
バンプへの興味を急速に失っていった。
高校2年生ごろからバンプはシングルを配信限定で出すようになり、
CDをウォークマンに取り込む派だった俺は行き場を失った。
ますます消してリライトした。
きっと悪い種が芽を出してもうさよならなんだ、と思うようになった。
 
時々、YouTubeバンプの新曲もチェックした。
でも、響かなくなっていった。
ちょっとすれていて、斜に構えている方がかっこいいと思っていたからだ。
「ray」で「生きるのは最高だ」とストレートに歌い上げる藤原に、違和感を感じた。
自分のその時の状況では、「生きるのは最高」と言えるだけの自信がなかったからだ。
映像関係の大学に行ってみたいけれど、私立大学の学費はべらぼうに高い。
東京に出てみたいけど、お金を工面できる見通しが立たない。
かと言って国立大学に行ける学力もない。
全然最高じゃなかった。
今までできていた、「BUMPに共感する」ことができなくなってしまった。
そして、「藤原は何を言いたいんだろう」と考えることもしなくなっていった。
 
なんとなく大学に潜り込むことに成功した後も、
バンプとの距離の取り方はわからなくなった。
新曲をYouTubeで聴いても、特に感想を持てなかった。
バンプのボーカル、藤原基央の言う「大丈夫」は、
リスナーの隣に立って歩いてくれているような安心感があるけれど、
アジカンのボーカル、後藤正文の言う「オールライト」は、
リスナーを力強く引っ張っていくような響きがある。
どこか「このままではダメだ」と強い焦りを感じていた自分には、
ゴッチの頼もしさが救いだった。
バンプが札幌にライブに来ることがあっても、
まあ今度でいいかと思うようになってしまった。
 
 
 
大学に入って3年目、僕はドイツに留学することになった。
初めての海外、初めての一人暮らしで、とても心細かった。
最初の1ヶ月くらいはとんでもなく寂しかった。
サカナクションアジカンのアップテンポな曲で、
無理やりテンションを上げていた。
迷惑な住民だったと思う。
バンプの曲は、昔の曲であってもあまり聴かなくなっていった。
 
そして、つい先日。
YouTubeで見つけた、バンプの新曲「記念撮影」。
悪くないなと思った。
というか、泣いた。
自分のタイミングとバンプのタイミングがぴったり合致した時、
彼らの曲は信じられないくらい心に浸透してくる。
将来についての終わらない模索の中に見える、灯台のような曲だった。
そして、藤原自身の葛藤とそれに対する彼なりの答えのようにも聴こえた。
 
写真は、決して未来を写すことができない。
常に写るのは「今」で、撮影された瞬間からそれは過去になる。
でも、その写真が未来に与える影響だってある。
記念撮影が未来の自分にエネルギーを与えるかもしれない。
過去を積み重ねることでしか、未来に行くことはできないのだ。
 
想像じゃない未来に立って/僕だけの昨日が積み重なっても
その昨日の下の/変わらない景色の中から/ここまで繋がっている
迷子のままでも大丈夫/僕らはどこへでもいけると思う
君は笑っていた/僕だってそうだった
終わる魔法の外に向けて/今僕がいる未来に向けて (BUMP OF CHICKEN 「記念撮影」より)
 
「記念撮影」は、今までバンプの曲が自分を救ってきたことを思い出させた。
過去のアルバムを色々聞き返した。
中学校の教室で感じていた強い劣等感に対して、
「大丈夫だよ」って励ましてくれた、バンプの存在を思い出した。
俺にはBUMP OF CHICKENがいるんだと、どうして忘れていたんだろう。
自分がバンプから離れていた間に出ていた曲の良さも、今なら少しはわかる。
結局のところ、雰囲気を変えバンドとして前進したバンプに対して、
わけもなく距離を置きたくなっただけなのだ。
他のアーティストの曲をたくさん聴く機会を得られた、という意味ではよかった。
けれど、よくわからない意地で好きなバンドから遠ざかってしまったのは、
もったいなかったように思う。
 
 
 
こうしてまたバンプの歩く速さと自分の歩く速さがシンクロして、
彼らの曲を素直に受け止められるようになったのはすごく嬉しい。
どこか暗くてメランコリックだった彼らが前向きな歌詞を、
それも「生きるのは最高だ」と歌い上げるのを自分が肯定できているのが嬉しい。
斜に構えてる方がかっこいい、という狭い考え方から抜け出せた気がするからだ。
いや、それがカッコ悪いとはやっぱり思えないけれど、
ストレートに歌い上げることもまた、かっこいいのだ。
 
 
バンドが変わるように、自分もまた変わっていく。
その中でアーティストの曲と自分の気持ちがピタリと重なる瞬間は、
すごく幸せなものだと思う。
 
今年の9月末に、札幌でライブがあるらしい。
ことしは、観に行く。