たまブレ、なるボケ

写真、音楽、映画、本、プロ野球。

のらねこ×LUMIX GH3+12-35mm f2.8

 駅の近くに、よく野良猫がいる。

カメラを向けるといつもすぐに逃げられてしまうのだけれど、この日はご機嫌だったのかあまり怯えずに写ってくれた。

カメラは、GH3と12-35mm f2.8の組み合わせ。夜の駐輪場の蛍光灯は暗く、写真を撮るには不利な条件だった。でも、なんとか画質と明るさをキープ。下の写真はf2.8 1/40秒 ISO3200で撮影した。シャッター速度が低かったものの、手ぶれ補正がしっかり効いた。

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とか言ってたら猫は移動したので、僕もついていく。

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カメラを地面に置き、シャッタースピードを1/10まで落として撮影。

猫が少しでも動けばぶれてしまうところだったが、じっとしていてくれた。

42.5mm f1.7など中望遠の明るい単焦点レンズが欲しかったけれど、極端に暗いところで無ければ12-35mm f2.8と35-100mm f2.8で対応できそう。いざとなれば20mm f1.7で撮影したものをトリミングする、というような荒技もできる。だいぶ機材の環境が整ってきて、「こう撮りたい!」を実現できる確率が高くなった。

 ちなみに、フルサイズでf2.8通しのズームはまず手が届かなかっただろう。(比較的)廉価にシステムを組めるマイクロフォーサーズはやっぱり良い。最近はサードパーティ製のレンズも増えたし、面白くなって来た。

GH3をたずさえて地獄坂をのぼる

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週に二度くらい、朝早く出かけないといけない日がある。

寒い、というより冷気が肌を刺してくるので、半ば強制的に目が覚める。

この日は夜中に雪が降っていて、

駅の駐輪場に放置していた自転車のサドルの上にうっすらと積もっていた。

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小樽駅から大学までは「地獄坂」なんて恐ろしい名前のついた坂を上る必要があり、普段はバスを使う。ただ、この日はバスを30分も待たねばならず、仕方なく坂を上ることにした。学生や教職員の仲間内では、バスを使わず徒歩で大学へ行くことを「登山」なんて言ったりする。

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大学へは、25分かそこらで着く。それなりに歩かねばならないので、覚悟を持って歩き始める。下の写真に写っている串鳥は、小樽民(というか道民)御用達の焼き鳥チェーン。もちベーコンと無料でもらえるスープがおいしい。

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お寺のすぐ近くに教会もある。詳細はよくわからない。

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地獄坂の途中には、アパートやら習字教室やらイタリアンレストラン、美容室に中華料理屋、などなどが並ぶ。

そして、ほかのところよりも消火栓が多いような気がする。f:id:zushe:20161119120506j:plain

だいぶのぼってきた。この日のレンズは35-100mm f2.8。海と空と街を、望遠端でひきつけたつもり。

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はい、到着。カメラを持って歩くと体感的には早く時間が過ぎる。

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夏だと汗だくになってしまい勉強どころではなくなってしまうので、逆に冬の方が登山には向いていると思う。でもこれからもっと本格的に雪が降り、路面が凍ると一気に罰ゲーム感が増す。だから地獄坂さんぽは、路面が凍っていないけれど寒い11月にぴったり。でももう今シーズンはいいかな。11月16日。

アースカラーとはなんぞや

北海道・室蘭市にて 

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 この写真をコンテストに出品したら、あえなく落選した。撮った当時はこれいけるやん!とウキウキだったのだが、全くもってひっかからず、鼻っ柱を折られた。自分で「なんとなく」気に入っていた写真だっただけに少し残念だった。だが、そんな写真にもいいね!と言ってくれた方がいる。Facebookでの話ではない。リアルでの話。

 それはとある知り合いのおじさんに、ご飯をごちそうになったときのこと。その方は趣味でよく海外旅行に行かれる方で、iPhoneで撮った海や花、空、現地の美味しい食べ物、などを見せてくれた。とても気のいい人生の先輩である。彼は、この写真を見て「アースカラーが良い」と評した。瞬間、耳に慣れない言葉・アースカラーが僕の脳内をクエスチョンマークでいっぱいにしたものの、ほめられていることは解り嬉しかったので、なんだかしまりのないぼやけた返答をしてしまったような記憶がある。「アースカラー」は辞書的には「自然を想起させるような茶系の色」らしいが、僕が「これは『何色だ』とはっきりと言えない色でしょうか?」と聞くとそうそう!と答えてくださった。

 何色、とはっきりと言えない色。なるほど、と思った。そして、今まで自分が「なんとなく」好きだと思っていたものの正体の尻尾をつかめた気がした。「淡い色」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、「アースカラー」ほど僕の個人的な好みをピタリと表している言葉は無いと思った。

 例えば、自分は味噌が好きだ、と自覚できればラーメン屋で迷わずに味噌をオーダーできる。同じように、アースカラーが好きだ!と自覚すると、自分で好きな写真を撮れる確率が上がるようになった。

 

いつもの道の朝f:id:zushe:20161115004949j:plain

いつもの道の夕方f:id:zushe:20161115005506j:plain

 そんなことがあって、人と話すのって良いな、楽しいな、と思った。基本的には写真は個人戦で、ほかの人の考えを聞く機会は多くない。だからこそ、自分が発信することで誰かの会話のきっかけになれたらな、なんて背伸びしたことを考えている。もちろん自分が好きな写真がみんなも好きだとは限らないけれど、僕と似たようなどこかの誰かがちょっといいなー、なんて思ってくれるのなら素敵なことだなと思う。もちろん「どや!エエ写真やろ!」と言いたい気持ちもあるけれど、そこは謙虚に行きたい。なんとなく、その方が徳を積める気がする。

 

これからまた、ちょこちょこ文章を書けたらな、と思う。11月15日。

無料とお布施と広告収入

好きなものにはできるだけお金を使いたいと思っている。

それが目に見えないものであったり、あまり有名でないものであればなおさらだ。俺一人がそう思ってお金を使ったところで何かが大きく変わることはないだろうけれど、俺のような人がたくさんいるから、黒木渚は札幌へライブに来てくれる。大学内の小さなカフェで、おいしいごはんを食べられる。

 

最近、あまりにも無料で楽しめるものが多いことが、すこし怖い。

プロのカメラマンがtwitterにアップする美しい写真を、毎日のようにみている。

マンガワンというスマホアプリで、毎日1話MAJORを読んでいる。

アマゾン・プライムビデオで、仮面ライダーを観られる。これは有料サービスだけれど、学生は月に200円もかからない。

 

その分の広告収入があるしちゃんと成り立っているとか、向こうがただで良いと言ってるのだからそれでいいじゃない、とか、そんな言葉が返ってきたら俺は何も言えない。確かにその通り。

 

だけど、それが行き過ぎると何かしらの成果(物)に対して正当な報酬が支払われることがなくなっちゃうのでは。

 

無料だったりかかるお金が極端に安いことで、いいものが広がっていくのはいいと思う。でも、収益があがらなくなって文化そのものが衰退していくかもしれない。そういうことが、怖い。だから俺は好きなアーティストのCDはできるだけ買うし、好きな作家の本は新品で買うし、好きなラーメン屋やカフェには暇があれば行くようにしている。だって、つぶれてほしくないから。

 

……という言い訳を心の中で唱えないと、ゴッチの新しい本は買えなかった。

ハードカバーの本は、1冊1500円+税もする。正直ちょっと高い。でも面白いので良し。ぜひ、また本を出してください、ゴッチ。そして、北海道にもライブしに来てくれ、ASIAN KUNG-FU GENERATION。全国ツアーとか言っときながら北海道を無視するの、どうかと思うぞ。絶対観に行くから、北海道まで来てくれ。頼む。

 

ラジオと読書と映画とタイヤ交換に明け暮れた3連休だった。5月1日。

終電に人が増えていくごとに、週末は近づく

終電ピーポーの話。月曜日はがらんどうで、火曜日は大学生が多かった。
きょう、水曜日は人が多くて座れなかった。
きっと金曜と土曜が近づくにつれて人が増えていくんだろう。

日常的に電車に乗るし授業に出るし働きに行くから、常に時計に縛られている。
いまもあと15分もしたら寝なきゃとか考えている。
東野圭吾の『容疑者xの献身』に「人間は時計から解放されるとより時計に忠実になる」みたいな台詞があったけど、
今は時計から解放されるということがどういうことなのか、想像もつかない。
果てしなく自由な感じがするけれど、結局朝も昼も夜も必ずあるのだから同じじゃないか、という気もする。
時計は時間の流れを視覚化してわかりやすくしたものであって、時間の流れそのものではないからだ。
時間が経てば眠くなるしお腹も減る。
時間はそれぞれに平等に流れる。

最近は楽しい時間の使い方ができている。
ももっと楽しくしたい。
11月11日。深夜。

意味が重いからこそ、語感は軽く

 今月いっぱいで、某飲食店のアルバイトをやめさせてもらった。洗い物とごく簡単な調理補助、仕込みなどが主な仕事だった。個人的な事情があって2か月半でやめさせてもらうことになってしまったけれど、得るものは多かったし、好きな職場だった。

 

 今回は、そのバイト先の話。

 

 10時に来るはずの人が、12時になっても14時になっても来ない。店長が電話をかけても無反応。仕方がないので別店舗の方が代わりに入り、なんとか店は回った。店長やマネージャーらは「あの人は『ぶっち』したんじゃないか」と言っていて、ああこういうことって本当にあるんだなあと思った。 

 

 バイトに無断欠勤し、そのまま来なくなってやめることを「ぶっちする」または「バックレる」と言う。似た言葉で、約束を急きょキャンセルことを、「ドタキャン」と言う。どちらの言葉も、髪の毛をくるくるといじりながら話していて違和感がない、気がする。スーツを着た人が言うより、普段着の人が言うほうが、しっくりくる。

 

 各々のっぴきならない事情はある。僕にもある(だからこそバイトをやめなければいけなくなったのだから)。 ぶっちした側にもドタキャンした側にも、のっぴきならない事情はあったかもしれない。だから、それぞれが抱えた事情が「のっぴきならない」ものになる前に、どこかに相談するなりなんなりしておけばいい。

 しかし中々そうはいかない。相談しても、納得できないまま終わらされたのかもしれない。普通に考えれば、何も言わず仕事を放棄する行為には責任感のかけらも感じられない。だけど、そうせざるを得ない事情があったのかもしれない。

 

 最初の、某飲食店の話に戻る。僕には、結局その日来なかったあの人が何の理由もなく「ぶっち」する人には到底思えないのだ。一緒のシフトに入っていた日にはたくさんアドバイスをしてもらっていたし、とても真面目に取り組んでいたようにも見えた。さらに、簡単な調理も満足にできない僕の代わりにやってくれたことも多かった。僕が入ったために、あの人の負担が大きくなった部分はあったかもしれない。

 

 最後の出勤の日にあの人はいなかったので、僕はあいさつができないままやめてしまった。でも、まだ今月分の給与明細を受け取っていないので、一度店に行く必要がある。その時に、あの人がどうしているのか少しでもわかったらいいなと思う。

 

 突然休まれたとき、約束をキャンセルされたとき。それが常習犯になってるならもう救いようがないかもしれないけど、もしかしたら何かあったのかもしれない。何もないかもしれないけど、「何かあった?」と聞いてみることは、意外と意味があることかもしれない。

 

 8月31日。もし明日から学校に行きたくなさ過ぎてネットの海をさまよってこのブログを読んでいる人がいたら、場合によっては「ぶっち」しても俺はいいと思う。「無断欠席」というよりも、「ぶっちする」って心の中で言っておいた方が、少しは楽になると思う。語感が軽いから。

勉強をする意味とは

 手段があるから目的ができる、ということを最近思う。

 飛行機が飛んでなかったら海外行きたいなーとかいう発想は出てこないし、目の前にサッカーボールがなければボールを蹴りたい!とはあんまり思わないんじゃないかと。
 そりゃ、この思いを表現したいからギターを練習してシンガーソングライターになりました、みたいな人もいるだろう。でも、だいたいの人はギターをはじめてちょっとうまくなって、あぁ歌手になろうかな、と思うのではなかろうか。 

で、この例えのギターとかサッカーボールにあたるものを、勉強は与えてくれるんじゃないかなって思う。考え方のパターンが増えたり、語学力がついたりすることで、やりたいこともやれることも増えてくるんじゃないかなと。わかりにくいですかね。

勉強することは無駄にみえても、後々役に立つことがあるかもね、ってことを言いたかったです。半分以上は、テスト前の自分に向けて。笑。

7月23日。ほぼ一月ぶりの更新でした~。